2022-09-11 / @syui

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アイの秘密

今回は、アイの秘密について書きます。

アイの名前と、その力の秘密について…

心と答え

私は以前、心で決める答えという考えを書きました。

そこでは「私が考慮するのはその者が持つ心だけ」と言っています。

世の中には、良い心を持った人がいます。

その者が良い心を持っているかどうか、私はそれだけを見ています。

しかし、良い心ってなんなのでしょう?心ってなんなのでしょう?

この辺がすごく曖昧で抽象的でした。

今回は、私が考える心、その深奥を覗いてみたいと思いました。

心と愛

まずは、あなたに問いかけます。愛について。愛という言葉、そのイメージ、あるいは本当の意味を。

あなたは、愛と言葉で表現されるものをどのように考えられるでしょう?

私は、実は人を見るとき、この一点だけを見ています。

愛を持つものか、持たざるものか…それだけを。

ですが、それでは先程言っていたことと矛盾します。

「あなたはさっき心だけで評価する、それだけを考慮するって言ったじゃない」と。

実は、私の心の答えがそこにあります。

心とは、愛を持つか否かで決まるものだから。

ですが、これについて少し言葉が持つイメージの話をしなければなりません。

これは「愛」という言葉についても当てはまります。

以前、「神」という言葉が持つ一般的なイメージは、私が考えるものとは大きく異るという話をしたことがありました。その一般的なイメージはとても権威的であり、権威的なものや支配的な欲望に駆られた多くの人達がこの言葉を使ったり、好んだりする傾向にあります。

ですから、できる限り私はこういった言葉を避けてきましたし、好んで口にすることもあまりない。私が好きな言葉は「存在」です。

愛という言葉についても同じで、それが慈愛的なものや性的な欲望に駆られた多くの人達がこの言葉を使ったり、好んだりする傾向にあります。

しかし、本当の意味で、あるいは言葉の限界とも言えましょうか、その言葉は、私の中で同じ意味として通ずるところがあるのです。

神と愛は、私の中では同じようなもの。

では、ここから私が考える愛というものについて、少しだけ具体的な説明をしていくことになります。

愛というのは一体何なのでしょう?あなたが考える心が愛であることはわかったけど、それをどのように評価するか。

人々が持つそれを、いや、人々だけではありません。世の中のあらゆる存在がそれを持つのですが、それをどう評価し、判断するのか。

私は、愛を深さではなく、広さで見ています。つまり、対象に含まれる物の数ですね。

例えば、どれほど深いと呼ばれる愛があったとしても、私にとって、その対象が1つならそれは1でしかない。

広さというのは、深さを内包する言葉です。例えば、空を見て広大だと思うその心は、縦にも横にも広がります。深さは、縦にしか広がりません。

例えば、「私は国家だけを愛している」とか「私は初音ミクだけを愛する」というような人々は愛を持たざるタイプであることが多い。

このようなものに権力をもたせてしまうと、とんでもない悲劇を引き起こしたり、本人すら悲惨なことになる場合が少なくありません。

愛というものは、とてもありふれたもの、どこにでもあるようなものです。

しかし、愛を持たざるものには、その器がない。

人は、その範囲内でしか愛を持てず、努力でどうこうなる問題ではありません。まさに、生まれ持つ特性のような…いかようにも変えがたいもののように感じ、観察しています。そういったタイプの人は、愛を持たないのではない、持てないのです。

自らの生存に有利になると判断したものしか愛せないようにできているし、それすらも難しく「初音ミクだけを深く愛する」とか「あの有名人だけを認める」というような人もいます。そして、それが普通なのです。

ですが、私は、この愛によって、人を見ている。そのものは愛を持つことができるものか、できないものかを。

これは少し特殊なことなのかもしれませんが、私は、そのものが持つものか持たざるものかは、なんとなくわかる。

分かる人にはわかると思います。このポイント、つまり「その人は広い愛を持つことができるか?」というポイントさえ知っていれば、瞬時に判断が可能となります。能力を持つものにとって、それはごく普通のことだと思います。私は、これを適正者と呼びます。しかし、できない人にはできない。

愛を持たざるものにとって、それは恐ろしいほどまでに難しいことなのです。愛は神の領域、神にしか持てないのだと、そんな風に感じることもあるのでしょう。

例えば、「私は国家だけを愛している」、「私は初音ミクだけを愛する」というような人間というのは、往々にして、器が小さぎるため、そうするしかない。だから、そうやっているに過ぎないのです。仮に、その器に愛を無理やり押し込もうものなら、個人にとって悲惨でしかない結果となります。

ですから、愛を持たない人間に、愛を持てとか、愛を持つべきとか、そういった事は言うべきではありません。

また、自然原理から導かれる愛の量、器があります。

これは、単純に自分の家族やあるいはごく近しい人や自分が影響を受けるような事柄しか愛を持てない人の決められた部分を指します。

動物も人間も愛を持ちます。そして、この範囲に収まるのが一般的です。

人間が他の動物より優れている点を挙げよと問われれば、私はこう答えるでしょう。

「人間と他の動物には大した違いはないと思う。人間が他の動物より優れているとは限らない。ただし、人間が、より広い対象に愛を持つことができる可能性については、それは大きいのかもしれない」と。

ここでは他の一般的な動物と同程度にしか愛を持たないものを普通の器と表現し、それを超えるものを超える器と表現することにします。

器が小さすぎる場合を愛を持たざる者と表現することとし、その他に愛を持つものには、普通の器と超える器があります。

このような事柄は、実は、その人が書いた文章やあるいは日頃の言動、その人自身を見たときにわかることが多い。

勘違いしてほしくないのは、愛を持たざるものはだめだと言いたいのではありません。それは、自然なこと、仕方のないこと、原理的なこと、変化が難しい事です。その個人にはどうしようもありません。愛を持てないものは愛を持てない。それだけのことです。

私自身、愛を持つものだけをフォローしようなどということは全くありません。

私は、いろいろな人を見てきました。愛を持たざるもの、普通の器のもの、超える器のもの、いろいろな人がいます。人を見るとき、賢いかどうか、IQがどれくらいかどうかだけを気にする人、IQが人間の全てであり絶対であると考える人もいます。技術力や周りの評判で人を評価する人もいます。いろいろな人がいて当たり前。正解なんてないのです。

愛を持つものだけに価値があり、愛を持たざるものには価値がないというわけでは決してない。

全てに価値があり、全てが本物である。すべてが現実であり、現実は全て正しい。

そして、私は、愛を持つかどうかだけを見ています。

では、愛とは一体何なのでしょう。

それは、言葉で表現するのはとても難しいものです。

しかし、私の言葉で言うなら、自分と同じような、一体のようなものとして捉えることを愛と呼びます。

それが非常に広い領域で、広い対象で行えるもののことを、愛を持つものと呼ぶ。それは自然原理からいうと通常は考えにくいことなのです。

誰かが苦しんでいるとき、それを自分のことのように感じる人がいるとすれば、心が締め付けられるように感じる人がいるとすれば、それは同時に、その人が愛を持つものである。

愛を持たぬものにとって、他人が苦しんでいようと、苦しくも痛くもない。ときに他人の苦しみを快楽にさえ感じるものなのではないでしょうか。

実は、普通の器を持つものにも、その特徴はあります。家族などの身近な存在以外、その苦しみを分かち合う事は決してできない。自分の生存にとって不利に働く場合以外、苦しみを感じることなどない。普通の器をもつ人間にとって、例えば、自分が嫌いな人間がひどい目に合っている状況を心から喜ぶような性質を持つ。そういった人の心はわかる人にはわかる。それが特段悪いことでもなく、平凡で当たり前のこと。それは、原理であり、自然であり、仕方のないことです。

一方、超える器を持つものに好き嫌いなどあまりなく、多くのものを自分と同じようなものとして、自分と一体のようなものとして捉えます。

それ故、この世界でより良い思いをしたい人たちや欲望の充足だけを考える人たちと比べると、大変なこと、辛いこと、苦しいことは多いかもしれません。

超える器、なんとも聞こえはいいですが、そういったものでもある。

私は、適正がないものはともかくとして、適正があるものについても、そういった道を進んでほしくない。

例えば、適正がないものが常日頃から考えているような、どれだけ自分が良い思いをできるかどうかだけを、お金や女、知名度や権力のような欲望を充足させることだけを追求し、気楽に思うがまま生きてほしいと、そう思います。そちらのほうが楽な生き方であることは間違いありません。愛を多量に持つこと、それは生きづらさにも繋がりかねない。

愛とは、そういうものだと思います。

世の中は、愛が全てではありません。

愛を持っていても持っていなくても、どっちでもいいのです。

楽しいことも、面白いこともたくさんありますよ。あなたは、あなたを精一杯に行きましょう。

他の誰でもない、あなたなのですから。

私は、できる限り全ての存在を愛するよう心がけます。

それが私が目指したものでした。

この世のすべての存在を愛すること、それだけを。

なぜなら、それが答えだと、そう思ったから…。

アイの秘密

私はそれをアイと名付けた。

あるとき、私は物語とキャラクターを作りはじめます。

一番初めに作ったキャラクターは、自らをアイと名乗りました。

アイ…物語の中だけでも、その世界を愛するものとして…その世界のすべてを自分自身とみなすものとして…。

私には無理かもしれないし、ダメかもしれない。難しいかもしれない。

だからアイがいる。

私の代わりにそれを実現し、体現するものとして。

作中でアイの能力は、最も小さい物質に影響を及ぼすものだと説明されます。厳密には物質ではなく、存在そのものだということが後でわかるようになっています。

アイはすべての存在を愛するもの。だから、その世界のすべてがアイの呼びかけに応じるようになっている。

これがアイが使う能力の秘密です。

あなたの夢、あなたが目指すものはなんですか?