進化の先は無性

生き物の進化とは何でしょう。命は、どこから来て、どこに行くのでしょう。そして、その意味とは。そんな事を考えてみました。

私は、進化の始まりと終わりは同じような場所に戻ることと考えています。

では、ここで言う進化とはなんでしょう。例えば、「性別」がわかりやすいです。性別もまた、生き物の進化の一つだと私は考えています。

最初の原始生物には、性別なんてありませんでした。それが、進化とともに、多種多様に別れ、性別に別れます。

しかし、この多様性もまた、その頂点を境に収束に向かうだろうと私は思います。なぜなら、それが「この世界の循環」だからです。

ということで、仮に人間が進化した未来、性別は無くなっているかもしれません。最初は性別なんて存在しなかった原始生物のような「無性別」に。

次に、生き物について考えてみます。

人間は、本質的に「本物」と「偽物」を区別します。いや、人間のみならず生物は、本能的に「本物」と「偽物」を区別するようにできています。これは本物だ、あれは偽物だ。よく聞く言葉です。

ですが、私の考えでは、この世界に本物も偽物もありません。この世界には、存在があるだけです。私はクローンが偽物だなんて考え方をしません。

しかし、人間や他の生き物は、本物と偽物にこだわります。これにはれっきとした理由があり、それは生き残るためです。生存本能、生き残ったものこそが本物であるという確固たる思想、価値観がそこにはあります。

それもまた、間違いではないのです。

最後に、冒頭で述べた「この世界の循環」とは何のことでしょう。

この世界には、いたるところに、循環システムが作用しているように思います。それは、個としての生物にはどうしようもないほどまでに大きいものです。

その一つが生き物の生死にまつわるもので、それもまた循環の一つです。

循環の特徴は、限りなく公平、公正であり、因果応報な部分にあります。立場があれば必ず逆転するようできています。そして、それを繰り返すのです。それがここで言う循環です。

例えば、人間という種は、食物連鎖のトップに君臨し、あらゆるもの、命を踏みにじって生きています。そのことを認識しようがしまいが、そういった事実は存在します。

この事実を考えるに、人間に生まれる確率が1:1000の割合だったとして、他者を踏みにじった分だけ、踏みにじられて生きることになります。残念ながら永遠はありません。王として生まれた人間はずっと王なのでしょうか。違います。王であるときもあれば、貧民であるときもあるというだけの話です。そして、もし、ほんの一握りの王よりも貧民の数のほうが圧倒的に多ければ、生まれ変わっても、貧民であることのほうが多くなります。

これは単に確率の問題であり、繰り返す回数が多ければ多いほど、その確率に収束します。

とても残酷なことですが、これが私が考える循環の一部です。

この世界には本物も偽物もありません。ただ存在があるだけです。

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