心で決める答え

心ってなんでしょう?私は、何が正しいのかわかりません。なので、迷ったとき、どのように考えていけばいいのかを考えてみたいと思います。

何が正しいのかわからないとき、それを決めるのはなんでしょう。それを決めるのは、「心」ではないでしょうか。

では、正しさとは、一体何でしょう。私は、正しい心(魂)と答えます。しかし、他の人は色々です。人の数だけ正しさがあります。

例えば、生物には、生き残る正しさがあります。欲望の正しさ、支配する正しさがあります。性欲がなければ子孫を残せませんし、殺される前に殺さなければ生き延びられません。支配がなければ、特権が守られず、今ある制度も秩序も崩壊するでしょう。

私は、戦争について考えてみました。戦争では、おそらく、どちらも正しい場合が多い。あるいは、どちらも間違っているのだと思います。

奪わなければやっていけない、守らなければやっていけない。現場の兵たちの多くは、殺らなきゃ殺られる状況です。そして、指揮官は、多くの人々をそのような状況に追いやります。そうしなければ、何も守れず、何も奪えないからです。例えば、暴力でしか変えられない貧困があります。幕府に一揆を起こした村人たち、反逆者たちは必ずしも間違っていたとは言い切れない。私はそう思います。

このように、多くの人々のその行いは、正しいものなのかもしれません。

私達が努力すべきは、戦争を起こさせないようにすることであり、そのためには、人々の差を小さくすることだと思います。

ですが、これはとても難しいことです。誰よりも有利に、誰よりも金持ちに、誰よりも。他人がどうなろうが知ったことではない。それが多くの人たちの願いだからです。そして、中には、自らの利己的な金儲けのためだけに、戦争を起こさせようとする人たちも存在します。人々は容易に扇動され、戦争へと突き進んだ例も過去にはたくさんありました。

では、どうすればいいのでしょう?この問題は、一見して、解決が見えないようにも思えます。

なぜなら、戦争は、何が悪い、どちらが悪いと単純に決めつけることが難しい問題だからです。

私は、両国に属する「個人」に興味があります。その個人の持つ心に興味がある。だから、その解決を考えるとしたら、私の場合、ここからになります。国ではなく、個人から解決を試みることになるでしょう。

私は、どちらの国にも良い人もいれば、悪い人もいるとそう考えています。どこの国出身であるというのは、個人的にはどうでもいいことです。重要なのは、その人がどういう人間か、ただそれだけ。

私は、世の中から争いを無くす方法が一つだけあると考えています。

それは、人の心を読み取り、良い心を持った人間と悪い心を持った人間が離れて別々に絶対不可侵に暮らすことです。

なお、悪い人間がわかったのなら、悪い心を持った人間は殺してしまうべきだという意見がでるかもしれません。しかし、私は反対です。それをやってしまうと戦争です。

このような「心」で決める解決法は、実は、大昔から考えられていました。

それは、どこの国にもある一つのおとぎ話、天国と地獄の話です。「人が死んだら、良い心を持っていた人間は天国に、悪い心を持っていた人間は地獄にいく」こういう話を聞いたことがない人はいないでしょう。

天国も地獄も存在しませんが、人類が進化した未来には、もしかしたら、天国と地獄のようなものを作るのかもしれません。それはもともと同じような場所でした。しかし、住む人々の心が違っただけなのです。天国には、今で言う悪い政治家もいなければ、賄賂や特権を振りかざす人間もいません。ブラック企業も存在しないでしょう。発展のスピードも今よりはるかに速く、人間以外の生命も保護されていくでしょう。反対に、地獄、つまり、支配欲等の強欲な悪い心を持った人間が住む世界では、争いが絶えず、拷問と死の世界になるでしょう。科学は後退し、情報は非公開で処分され、知識や歴史は失われていきます。生み出すより奪ったほうが手っ取り早い世界になるでしょう。これはどうしようもないことです。悪い心を持った人たちと一緒に暮らすと、沢山の人が犠牲になります。かと言って殺してしまおうとすると、それは戦争です。逆に心を強制的に変えてしまおうとするなら、それは内心の自由への侵害です。それだけは、やってはいけないことです。何人たりとも内心は自由であるべきです。

私は、あらゆる特権、人種、身分、信条、性別、年齢、能力や才能、生まれや育ち、その他一切を考慮しません。考慮するのはただ一つ、「良い心(魂)を持っているかどうか」、それだけです。

私は、迷ったとき、その「心」を在りどころに考えます。

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